こんにちは、ともせんせいです。
広島に生まれ広島で育ったともせんせいは、生まれた病院もたまたま平和公園のすぐ近くにある病院でした。
平和公園は、鳩がいっぱいいて、緑も豊かで、最近では外国のお客様と修学旅行生でいっぱいです。
先日、音楽大学の時のお友達と、平和公園の「元安橋」(たくさんの方が亡くなった場所です)のたもとにあるカフェで、オレンジジュースを飲みました。
ジュースを飲む前に、お友達と、「レストハウス」にいきました。
目的は、レストハウスの2階にある、「明子さんのピアノ」に会うためでした。
5月に、著名なピアニスト、マルタ=アルゲリッチさんが広島にいらした時にお弾きになられたというニュースを見て、
広島にいながら、レストハウスに被曝ピアノがあることを初めて知りました・・・
(広島での演奏:プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番の演奏はとても素晴らしかった、と聞いています)
その後、youtuberピアニスト、Cateenさんこと、角野隼人さんも、その話を聞きつけてレストハウスで演奏されたようですね。
ピアノはガラス張りになっていて、触れることはできませんが、ピアノのそばにあるモニターで、アルゲリッチさんが演奏されている様子を拝見しました。
私も被曝ピアノを、これまで5、6回演奏する機会があり、とても古い、演奏するのにはかなり手強いピアノだという印象があります。
しかし本来、いいコンディションのはずもないですよね。
当時のまま、できるだけそのままを温存していくのが後世に残されたものの使命、ということを、被曝ピアノを保有され、全国はたまた世界各地で被曝ピアノのお披露目をされていらっしゃる矢川さんから宇賀がったことがあります。
一昨年でしたか、教室の近隣にある通信制の高校の文化祭で被曝ピアノが来る、ということで、お声がけいただいたので、
教室の近所に住む生徒さんにお声がけし、一緒に演奏させていただく機会がありました。
演奏が終わった後、ピアノの本体に触れることもできました。
生徒さんたちは、小さいながらに、「ガラスが刺さっとる痕がいっぱいあるね〜ぇ」「痛かったじゃろう」「かわいそうに」などと、たくさんのガラス片の刺さった痕を触りながらいっていました。
今、こうして私たちが毎日教室で出会い、ピアノの練習ができたり、当たり前の生活を当たり前にしていることが、どんなに有難いことか、こうした体験の中で考えることがありますし、生徒さんたちにも、考えるきっかけを与えていただいたなぁ、と、
被曝ピアノに感謝しました。
被曝ピアノの中には「象牙」の鍵盤のものがあります。
しかし、海外には、「ワシントン条約」の関係で、持ち出すことができません。
(昔はピアノの鍵盤は象牙で作られたものが多かったんですよ)
このピアノの持ち主の明子さんは、原爆の落ちた翌日、この世を去ったということです。
ピアノも取り残されて、とても寂しかったことと思います。
皆さんの地域で被曝ピアノの演奏がある時、ぜひ、見てください。
傷だらけの、「生きた証人」です。
広島では、6月、大抵の小学校で、「平和の歌」を歌います。
「折り鶴」「アオギリの歌」・・・学校によって、いろいろな歌を歌うようです。(私も歌ってきました)
今日のブログは、ピアノ教室の活動の一つではありますが、
改めて深く平和に感謝したい気持ちで投稿しました。
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